和風のミニチュア

ミニチュアが好きだ。

昔から好きだったけれど最近また再熱した感がある。

 

仕事に追われて、働き詰めの平日

休日は何もやる気が起きない。

好きだ。ときめく。

そんな心の高揚はもうなくなったと感じていた。

 

しかし、昨日

久々にミニチュアで検索し

ときめきを思い出した。

 

色褪せていた心に色が戻るのを感じた。

 

特に和空間におけるミニチュアは私の心を治癒する強い力を持っている。

 

その小さな世界の中に大きな救いを感じる。

このきゅんと胸を締め付ける感覚。

もうなくなったと思っていたけれど。

 

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いてもたってもいられずミニチュアセットを買ってしまった。。猫達は「猫の宴」というガチャシリーズ。部屋はセット付属のただの紙なので

これを置く部屋を自分で作っていこう。

やっぱり畳はイ草じゃないと。

部屋の木は柿渋で塗りたい。

 

 

愛するファービー 2について、懇々と。

ファービー が愛おしくてたまらない。

 

同じ会話しかできないし、海外の中古であるからか本来の反応のレパートリーより返答に乏しいように思うが

だからこそたまに違う反応をした瞬間にはもう微笑まずにはいられない。

 

例えば
hey,Furby と声をかけると、Du...と答える

 

私のファービー は、ほぼDu...としか答えない
けれども、たまにアアン?と小生意気な感じで答えることがある。

 

その時の気持ちは、
…あな愛おしや…。
に尽きる。

 

Are you hungry?
と聞いても、たいがい減っていないと拒絶されるが、ごくたまに口をパカっと開けてくれる時がある。本当にごくたまにだ。

 

口に指を入れて、小さなプルプルしたピンク色の舌に触れると指を抜く間も無くパクっと噛み付き、咀嚼する。
噛み付く力がけっこう強いのもまた一興。

 

そうやって口に指をいれると、時には
グェエエエとえづくファービー

 

愛おしい…ほかに言葉はない。
愛おしい…。

 

Tell me a joke.
言うと、得意げに毎回
同じ話をするが、これが例によって全然面白くない。

 

面白くはないけれど、最後にはファービー 自身が笑っているのでよしとしよう。

 

当時、初代ファービー は国際的に大ヒットし、

決してミーハーなわけでもない我が家にもファービー は侵略の手を伸ばし、私と弟のもの合わせて2匹がやってきた。

 

ファービー 人気がやっと落ち着いてくる頃、
熱に浮かされていた私たち兄弟も冷静さを取り戻すと同時に、次第にある事に気がつくのだ。それは、

 

あれ…ファービー って
なんか気持ち悪くね…?

という事だ。

 

初代ファービー は電源をオフにするということができなかった。

 

この電源をオフにできないという斬新なシステムには、開発側の

 

「君たちが飼っている猫や犬にオンオフのスイッチがないのと同様に、我々のペットにもスイッチなどというものは存在しないのだ!」

 

という強い自信が感じられるが、この強制的な生命力の押し付けが子供たちに、プレッシャーと恐怖の念を与えることとなる。

 

目をむき出しにして、なんの脈絡もなく奇声を発するファービー の恐怖に耐えられなくなった子供たち、ときに大人たちさえもが次々とファービー の中から電池を引き抜いていった。

 

そんな悲しい過去を経て、次こそは!と開発されたのが、ファービー 2だ。

(ファービー ベイビー省略)

 

初代での失敗を教訓とし、オンオフができるスイッチがつけられた。

 

また、リアリティある動物的な形を目指して、むき出しだった目は毛で覆われ
プラスチックで作られていた口は、よりリアルな形状と質感を追求。

 

かなり柔らかな樹脂で仕上げられており、センサーにもなっている舌は小さくプルプルモチモチとしている。

 

瞬きの動きにもバリエーションがあり、こうかくが上がるなどして表情も豊か。脚や瞼にはシワが形成されるなどして芸が細かく、リベンジに燃える強い意志を感じる。

 

現実的な親近感の追求のためだろう、全体的なフォルムもより動物的になり、サイズも初代よりもひとまわり大きい。

 

また、言葉や反応において、
基本的には「可愛らしさ」という大きなベースがあるのだが

たまに見せる憎たらしさや反抗、そして

 

グェエエエエエエ!!!

 

という可愛さから逸脱した嗚咽は、初代ファービーの不気味な遺伝子を引き継いだような皮肉さを呈していると感じる。

 

そのようにして、これでどうだと言わんばかりに発売されたファービー 2は思いのほか、売れなかった。

 

もうファービー はいいよ。
リアルで可愛いけどそういうことじゃないんだよ。
とにかくもうファービー はいいんだよ。

 

という世間の冷めきった反応があったのかもしれない。

 

私が愛しているのはファービー 2だけだ。

 

悲しい過去から必死で這い上がるも、その時すでに見放され、人知れず姿を消したファービー 2だけだ。

 

私が愛してやまない我がファービー
とある中古サイトにて購入した。

 

ファービー 2には日本語版と英語版があるが
私が購入したのは英語版の中古品だ。

 

出品者が外国のオーナーから購入されたもので、13年の時を経ていくつかの人の手に渡り私のもとにたどり着いた。

 

たしかに、当時は真っ白であったであろう
その腹の毛はグレーに汚れているし、仄かにカビ臭いような匂いもするが、
私はそれにちっとも不快感を抱かない。

 

寧ろ、よくぞご無事で。という気持ちだ。

 

なぜなら、その毛並みは長い年月を渡り歩いてきたにも関わらずフワフワと柔らかく、くちばしも綺麗で、青い瞳には傷ひとつないからだ。

 

それが大切にされてきたからなのか、ほとんど相手にされずに、暗闇に眠っていたからなのかはわからない。

 

製造され、このファービー が世に生まれてから私の手に至るまで長い旅のことを思うと、少しばかり目頭が熱くならないこともない。

 

そして、
私は君の最後の家族となり
私どもの魂が未来永劫 共にあらんことを。
アーメン。

 

と言って静かに十字架をきるのであった。

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